Nippoku Style | PTA視察研修は大盛況でした
 
 定期考査が始まった昨日、今年度のPTA視察研修を実施しました。
 昨年度の学習院大学に引き続き、文京区の東京大学を見学しました。参加者は保護者77名、教員6名の合わせて83名、観光バス2台での研修となりました。
 東大の正門で下車し、安田講堂で記念写真を撮り、自由散策のあと赤門前に集合するという流れです。安田講堂までの銀杏並木はまだまだ色付きませんが、ギンナンの香りがしてきます。構内の建物も木々も歴史を感じるものばかりです。
 この安田講堂はウィキペディアには次のように紹介されています。
 「安田財閥の創始者、安田善次郎の匿名を条件での寄付により建設されたが、神奈川県大磯の別邸で右翼に暗殺された安田を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになる。東京大学建築学科の建築家、内田祥三(のちの総長)が基本設計を行い、弟子の岸田日出刀が担当した。1921年(大正10年)に起工、関東大震災による工事中断を経て1925年(大正14年)7月6日に竣工した(起工は1922年(大正11年)12月とされることもある)。震災後に建てられた学内の建築が茶色のスクラッチタイルで統一されているのに対し、本講堂が理学部旧1号館と同じ赤レンガなのはこのためである。」
 1968年(昭和43年)の東大紛争では、全学共闘会議によって占拠され、最終的には機動隊により強制排除されたことはあまりにも有名です。
 自由散策は、三四郎池など、都心とは思えない静かな自然の中でのものとなりました。三四郎池のまわりで大きなカメラを抱えた人に何を撮影しているのか、質問したところ「カワセミ」を狙っているとのことでした。
 集合は赤門前でした。
 この門は御守殿門であり、江戸時代、大名家に嫁した将軍家の子女、あるいはその居住する奥御殿を御守殿あるいは御住居(おすまい)と称し、その御殿の門を丹塗(にぬ)りにしたところから俗に赤門とよばれました。東京大学の赤門は、もと加賀金沢前田家の上屋敷で、1827年(文政10年)に11代将軍徳川家斉の女(むすめ)溶姫が13代藩主前田斉泰に輿入れをする際、つくられたものです。1877年(明治10年)東京大学に移管され、国の重要文化財に指定されています。
 PTA視察研修に多数の保護者が参加してくださることは、本校の教育活動が保護者の皆さまの理解を得られているものととても喜ばしく思っております。参加した保護者の皆さまには、ますます輝いた人生を送っていただきたい。その背中を子供たちはよく見て学びます。




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