Nippoku Style | 東日本大震災(暗闇の中で)
 
 
 東日本大震災がから、明日で丸四年がたちます。東日本大震災から4日後の【 Nippoku Style 】を再度紹介いたします。当時の柴原校長が本校の状況を詳細に紹介した内容です。
先週金曜日の地震発生以来、学校に泊まり込んで、今日で四日になります。
 今回の地震は、私たちの誰もが経験したことのないような凄まじいものでした。その惨状は新聞等で詳しく報道されていますが、犠牲になった方に哀悼の意を表します。
 3月11日(金)の地震発生時、本校は5時限目の授業中でした。発生と同時にいつもと違う揺れを感じた生徒達は、授業をしている先生が「机の下に入れ!」と叫ぶのと同時に自分の机の下に身体をいれ、揺れが収まるのを待ちました。その後グラウンドに避難し、全員が無事であることを確認した後も、しばらく様子を見ていました。
 グラウンドに避難している間に、2回目の大きな揺れが襲ってきました。2回目の大きな揺れで動揺している生徒達に、本校の敷地は岩盤を削って整地されたものなので地割れの心配がないこと話したら、安心した生徒達から思わず「おー」とか「ヤッター!」という声も聞かれました。それほど恐ろしい揺れでした。
 最初の大きな揺れから1時間以上たち、余震の頻度も少しずつ少なくなってきたように思えたし、雨も降ってきたので、生徒達をクラスごとに教室に戻して私物を持ってこさせ、今度は全員を体育館に集めました。
 その間、数人の教員がワンセグで情報を集めていましたが、私たちの予想を遙かに上回る被害が出ていることを知り、多くの生徒が学校に泊まる、言い換えれば安全にお預かりするという姿勢で、様々な対応を考えました。そして、まず普段徒歩や自転車で通学している生徒達を、まだ明るいうちに帰宅させました。
 徒歩や自転車で通学している生徒を帰宅させても、約350人の生徒達が残りました。その生徒達については、いつでも避難できる状態で、男女別に指定した教室に集め、携帯電話で保護者と連絡を取ってもらい、連絡が取れて迎えにきた保護者の方に確実にお渡しする方法で対応することにしました。そのため、迎えに来られた保護者の方からの「○○さんも一緒に乗せていきますよ」という善意の申し出があっても、そのお気持ちは大変嬉しかったのですが、「保護者の方と連絡が取れていないと、生徒が自宅に戻っても一人でいるのはかわいそうですから。」とお断りしました。
 夕方から夜9時頃にかけて、多くの保護者の方が迎えに来られました。それでも、金曜日が土曜日に変わる時点で、59名の生徒達が学校に泊まることになりました。この生徒達を、全員間違いなく保護者の方にお渡しするのが私たち教員の責任です。生徒59人の命を預かる責任の重大さに、改めて身の引き締まる思いがしました。
 夕方から保護者の方が生徒達を迎えに来る一方で、多くの地元の皆さんが日立北高に避難してきました。地元の皆さんは、地震の恐怖に表情もこわばっており、言葉の端々に緊張していることがよくわかりました。その方々を格技場に誘導しましたが、皆さんは、持つものも持たずに避難してきたので、食料品は勿論、防寒具も満足に持っていませんでした。そのため、集まってくる皆さんの窮状を見た技術職員さんを中心に、本校で使用しているストーブを格技場に運び、まず暖をとってもらうことから始めました。
 この時点で私たちには、日立北高の生徒達の安全を守る責任に加え、避難してくる皆さんの安全を確保することにも全力を尽くすことになりました。電気も消えて真っ暗な中で、屋外で避難してくる皆さんの車を誘導したり、生徒を迎えにきた保護者の方を案内したりと、全職員が自分で考え、よく動いてくれました。突然起きた地震ですから、用事のあった職員もいたはずです。自分の家族や家のことが心配で、一刻も早く帰りたいと思っていたはずです。しかし、そんなことは一言も漏らさず、全職員が協力して対応してくれました。頭が下がります。
 電気が消えた暗い中で、生徒達は地震への恐怖もありましたが、みんなと一緒にいる仲間意識や教員に守られている安心感から、比較的リラックスしていました。しかし、避難してこられた方は又別でした。暗い中で超巨大地震の激しい揺れの恐怖が頭から離れず、その表情からも気持ちが興奮している方が多く見られました。そんな時、地元の自治会の方が発電機と投光器を避難所に持ち込んでくださり、部屋全体を明るく照らし出してくれました。
 さらに、本校の職員数人が自発的に、調理室に残っていた材料で、まだ迎えに来ない生徒と避難している方合わせて約300人分の「すいとん」をつくってくれていました。本校はプロパンガスのため、都市ガスの供給が止まってもガスは使えましたし、調理に必要な水は、校舎屋上のタンクにある分だけは利用できました。
 約300人分の「すいとん」ですから、一人当たりの量は紙コップ一杯程度です。しかし、この職員手作りの温かい「すいとん」の炊き出しを食べあと、避難所の雰囲気は心なしか穏やかになったように感じました。炊き出しをしてくれた職員の中には、家族が避難所に避難した方もいましたが、生徒や地域の皆さんのためになるならという気持ちから、遅くまで残ってすいとんを作ってくれました。
 金曜日から土曜日に日付が変わったときに残っていた59名の生徒達は三つの教室に集まり、体育のマットを敷いた教室でストーブを囲みながら一夜を過ごしました。私たち職員は、深夜になっても迎えに来られる保護者の方のために、交代で通路に待機して夜を過ごしました。中には、午前4時頃、たまたま出かけていた水戸から12時間以上かけて迎えに来られた保護者の方もおいででした。結局、深夜から早朝にかけて半数の保護者の方がおいでになり、土曜日の朝の時点で25名の生徒が迎えを待つことになりました。
 この25名の生徒の中には、保護者の方がたまたま遠くに出かけていて地震あい、JRが動いていないために迎えに来られない者もいました。担任がその保護者の方と連絡を取ったときには「自宅に生徒さんだけおくのは心配なので、このまま学校でお預かりします。」「よろしくお願いします。」というやりとりもあるなど、とにかく生徒の安全を最優先させようという気持ちが、職員一人一人の心の中に共通しており、保護者の方もそのことを理解してくださっていました。
 二日目(土曜日)の朝も、泊まっていた職員と女子生徒が、一夜を明かした生徒と避難している方のために、調理室で温かいうどん汁の炊き出しを行いました。そのうどんは、ある職員が自宅からわざわざ持ってきてくれました。温かいうどんもすいとんと同じように、一人当たりカップ一杯でしたが、生徒から受け取るときに、多くの皆さんが「ありがとうございます」と声をかけてくださいました。前夜に引き続いて行った炊き出しは、材料と飲料水がなくなってしまったので、残念ながら2回しかできませんでした。
 避難している皆さんが朝食を終えた頃、学校に自動販売機を設置している地元の業者の方がおいでになり、自動販売機の中に残っている飲み物を取り出して、避難している方に無償で提供してくださいました。困っているときに助け合う気持ちに接し、本当にありがたく思いました。
 3日目になると生徒達も話すことがなくなったのか、教員と一緒になって、普段授業で使っている教室の掃除をしたり、机を寄せあって教員に質問しながら勉強する姿も見られました。図書室から本を持ってきて、1日読み耽っている生徒もいました。そういう生徒達の姿に人間としての立派さを感じ、遠くからみて一人で感動していました。
 結局、土曜日の夜は約10名の生徒が学校で二晩目を迎えることになりました。夕飯を食べてしまうと、電気が止まっているので真ん中にあるストーブの明かりしかない教室の中で、生徒達は話をしながら時を過ごしていました。
 三日目(日曜日)の午前中、事務室でみんなと雑談をしていたら、「お疲れ様デース」と爽やかな女性の声が聞こえてきました。みんなでその声の方を向くと、本校の女性職員が、両手にコンビニエンスストアの袋を提げ、ニコニコして立っていました。彼女は、「これ、差し入れです。皆さんで食べてください。」と私たちにその二つの袋を差し出してくれました。コンビニエンスストアに行っても食料品など買えないと思っていた私たちに、彼女は「今日、○○店で10時から商品を売ると聞いたので、今朝6時から並んで買ってきたんです。」と事も無げに応えました。袋の中には、食パン数袋、レトルトのご飯数個、カレー数個、それにたくさんのカロリー○○○と割り箸やプラチックのフォーク、さらには新聞まで入ってました。
 その職員は、自宅から遠い○○店に朝の6時から並び、私たちのためにこれらのものをわざわざ買って届けてくれたのです。これにはみんな感激しました。そして、泊まっている職員だけでなく、全職員で生徒や避難している地域の皆さんを守っているという意識を強く感じました。
 最後の生徒を保護者の方が迎えにこられたのは、地震から3日後の日曜日の夕方でした。事情があってなかなか迎えに来られなかった保護者の方も気が気じゃなかったでしょうし、一人で待っている生徒にしても、言葉には出さなかったものの心細かったに違いありません。
 日曜日の夕方で、保護者の迎えを待っている生徒はいなくなりましたが、避難所が開設されているので、日曜日の夜も引き続き数名の職員とともに学校に泊まりました。
 今回の大地震は、まだ終わったわけではありません。学校は現在も休校しているし、インフラも復旧していません。職員や生徒の中にも避難所生活をしている方もいます。しかし、今回の大地震で、本校職員と生徒の素晴らしさを改めて感じるとともに、地域に住んでいる方がみんなで助け合う姿を見ることができました。
 特に、本校職員の働きには、校長としては勿論ですが、一人の人間の目で見ても感謝しています。地震が起きた日、自分の家族や家のことを心配しながらも、生徒達や避難してきた地元の皆さんのために遅くまで残って働いてくれた職員。温かいものを少しでも食べて元気を出して欲しいとの思いから、電気がない暗い中でも、みんなのためにすいとんを作って炊き出しをしてくれた職員。連日学校に泊まって生徒や避難している方の面倒を見てくれた本校の職員。泊まっている仲間のために、わざわざ4時間も並んで食料を手に入れ、遠くから学校まで持ってきてくれた職員。避難所生活をしているのに、泊まっている職員のためにわざわざ出てきて食事を作ってくれた職員。日立北高の職員は、本当に人間として素晴らしい人ばかりで、そういう職員と一緒に仕事ができる幸せを、今感じています。
 この教職員一人一人が、日立北高の誇りです。今回の大災害を通して,そのことを強く感じました。


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